鬱に効くコジコジ

コジコジ万博(2022年)衰え知らずのコジコジ人気

 

2019年の1月、かつてない鬱状態に陥り会社を辞めた私は、6年間の一人暮らしを切り上げて実家へと戻った。入社前に抱いていた"仕事で成功する素敵な私"という未来像は見事に打ち砕かれた。現実が全く追いつかなかった。上司からは完全に役立たず扱い。仕事も全くうまくいかなかった。取り払えない無能感にまみれて会社を辞めた。

 

半年ほど失業保険をもらいながら無職生活を続けていたが、気分はふさがったまま一向に良くなる気配がなかった。理想を打ち砕かれたダメージは大きかった。

 

テレビを見ることができなくなった。テレビに出てくる人はみんなキラキラしていて眩しくて、反対に自分はなんて惨めなんだろうという気分になったからだ。テレビから流れてくる笑い声が棘のように感じられた。SNSもやめてしまった。他人が楽しそうにしているのを見るのが苦痛だった。どこを見ても自分に自信がある人ばかりに思えて、自分の惨めさを増大させた。

 

人間が嫌いになりかけていたため、ドラマなどの人間模様を見るのがとにかく辛かった。私が見ることができたのはコジコジだけであった。

ベッドの上で死んだようにスマホを見ていた時、YouTubeのトップページにおすすめされていたのが『コジコジ』というアニメだった。コジコジの存在は知っていた。私が子どもの頃、夕方のアニメで放送していた記憶があるし、妹から借りて読んだ『ちびまる子ちゃん』の中にも登場するキャラクターだったから。初めてちびまる子ちゃんを読んだ時、さくらももこという漫画家が一種の天才であることをすぐに理解した。

コジコジもまた、さくらももこという漫画家の天才性が爆発した作品だった。

 

コジコジに救われた人は多いはずだ。私もその一人である。

アニメ『コジコジ』のオープニング曲を聴くだけで涙腺が緩んでしまう。『コジコジ銀座』は曲調も歌詞も明るくて、決して人を泣かせるような曲ではないと思うのだが、失意に沈んでいた頃の私を唯一励ましてくれたのはコジコジだけだったから、どうしてもあの頃がオーバーラップしてしまう。

さくらももこさん亡き後も、コジコジ人気はますます増大しているようだ。なぜコジコジは人を惹きつけるのか。なぜコジコジに救われたと思う人が後を絶たないのだろうか。

僭越ながらその魅力に迫ってみたいと思う。

 

1.現実を皮肉ったメルヘンの世界

コジコジのいる世界は、ちびまる子ちゃんのような人間社会ではなく「メルヘンの国」と呼ばれる世界である。メルヘンとは「おとぎ話」「童話」という意味の語だが、コジコジたちのいるメルヘンの国は、おとぎ話のような幻想的な世界とは程遠いものだ。それどころか現実よりも現実的である。メルヘンの国の住人には人間を楽しませ、愛されなければならないという使命があり、そのために子どもたちは学校へ通って勉強をしているのだ。現実を皮肉るためのメルヘンである。コジコジたちの通う学校で教鞭をとっている先生は無機質な立方体の形をしていてとてもメルヘンと呼べる容姿ではない。

出典:コジコジ コミック第1巻 第1話「コジコジコジコジ の巻」より

 

メルヘンの国に住む彼らは、我々と同じような理不尽さを抱えて生活している。なぜ勉強しなければいけないのかと文句を言いながら、テストで28点しか取れなかった半魚鳥の次郎くんは母親に怒られることを嘆いている。だが、人間社会を模した不条理な世界にあって、常識の鎖から完全に解放されているキャラクターがいる。それが本作の主人公コジコジである。コジコジは自分の名前を間違えてマイナス5点になったテスト用紙を「見てごらん、楽しいよ」と言って次郎くんに差し出す。

出典:コジコジ コミック第1巻 第1話 「コジコジコジコジ の巻」より


2.コジコジについて

キャラクターによって種族なり役割なりが設定されていたりするのだが、コジコジにはそれがない。

宇宙生命体であるという設定以外は一切謎で、年齢や性別も本人すら知らない(ただし、メルヘンの国で一番長生きとされている「長生きばあさん」より年長者であることが窺える場面があり、少なくとも13億歳以上と思われる[5])。飛行能力を持つ。

出典:コジコジ - Wikipedia

 

コジコジという存在の不思議に迫れそうな印象的なエピソードを3つほど紹介したい。

①宇宙の子

コミック第1巻(アニメ第5話)では、コジコジには親が存在せず、両親へ手紙を出したところ空からメッセージが届くという描写がある。(とても感動的な回)

「手紙ありがとう おとうさんとおかあさんは いつもコジコジといっしょにいます 水の中にも 土の中にも 木の中にも 草の中にも 風の中にも 空の中にも 音の中にも 光と闇の中にも・・・ それはあなたは宇宙の子だから・・・」

出典:コジコジ コミックス第1巻 第7話「手紙を書こう!! の巻」より

 

②世界そのもの

また、アニメコジコジ第39話「不思議屋の失敗」では、コジコジ含む数人のキャラクターがパラレルワールドに飛ばされ、その中に建っている学校でもう一人の自分たちと遭遇するのだが、コジコジだけは対となるもう一人の自分が存在していなかった。コジコジが「他の人はいたけど、コジコジはいなかったんだ」と不思議屋(パラレルワールドへ飛ばしたおじさん)に言うと、不思議屋は「君はトータルなんだね」とだけ返すのだった。”トータル”という言葉の意味は明言されていないが、おそらく"世界そのもの"に近い意味であると思われる。

出典:コジコジアニメ第39話「不思議屋の失敗 の巻」より

 

③世界を破壊することができる

コミック第3巻18話「カメ吉くん お茶断ちをする の巻」では、意地の悪い性格の師匠(亀大明神)から、大好きなお茶をしばらく断つように言われてしまった亀吉くんを可哀そうに思ったコジコジが「お茶を飲ませてあげなよ」と直談判に行く場面がある。「おぬしも断つのじゃ 一番好きなものを断つのじゃ カメ吉のかわりにおぬしがやるならカメ吉を許す」と亀大明神から言われ「全部1番好き」と答えるコジコジ。「それじゃその全部とやらを断ってもらおうか」と意地の悪い顔で亀大明神が迫ると、コジコジは"全部断ち"を発動する。空が禍々しい色に変色し、「もうじき全部消えちゃうよ 空も星も 亀大明神ていう人も」とコジコジが口にする。コジコジには世界そのものを破壊する能力があるのだ。(元々のアニメでは画面自体が歪んでいく恐ろしい描写だったが、公式YouTubeの動画では刺激が強すぎる映像のためか修正されてしまった)

出典:コジコジ コミック第3巻 「カメ吉くん お茶断ちをする の巻」より

 

④結論

コジコジはトータル(世界全体)であると同時に、世界そのものの創造と破壊を自分の意志で行うことのできる存在である。いわばに近い存在。だが自覚はない。

 

3.名言製造機コジコジ

コジコジを語るうえで絶対に外すことができないのが第1話『コジコジコジコジ』である。原作でもアニメでもコジコジはここから始まる。

マイナス5点を取ったコジコジは先生から職員室に呼ばれ、勉強もろくにせず毎日何をしているんだと詰問される。コジコジ答えて曰く

「盗みや殺しやサギなんかしてないよ 遊んで食べて寝てるだけ なんで悪いの?」

出典:コジコジ コミック第1巻 第1話「コジコジコジコジ の巻」より

 

呆気に取られた先生は「キミ、一体将来何になりたいんだ。それだけでも先生に教えてくれ」と最後の質問をする。ここで誰もが知るあの名言が登場するのだ。

出典:コジコジ コミック第1巻 第1話「コジコジコジコジ の巻」より

 

4.私がコジコジから受け取ったもの

私たちは小さい時から「大きくなったら何になりたい?」「将来の夢はなに?」と大人たちから問われ続けてきた。"将来の夢"と題した作文を書き、大人になったら就きたい仕事を、解像度の低い頭を使ってなんとなく考えさせられてきた。

その結果、私たちの心の中には「何かにならなければならない」という強迫観念が棲み着くようになったのではないだろうか。「キミ、一体将来何になりたいんだ」と聞く先生もまた、周りの大人たちからそのような観念を植え付けられてきたのだろう。私たちは、いつも何かになろうと焦ってはいないだろうか。キラキラした理想像を描いているがゆえに、今の自分を惨めに感じたりはしていないだろうか。

 

コジコジコジコジだよ 生まれた時からずーっと 将来もずっとコジコジだよ」というコジコジの言葉を聞いて私たちの心が楽になるのは、上記のような強迫的な観念から一瞬でも解放させてくれるからだ。

コジコジから私たちが受け取るメッセージとは以下のようなものではないだろうか。

自由とは、自分の理想から自由になること

 

5.さいごに(次郎くんのこと)

コジコジとは世界そのもの、神に近い存在。私たちにとっては彼岸の存在だ。

だからある意味手の届かない遠い存在でもある。

その点、人間臭いところの多い半漁鳥の次郎くんが私は大好きである。

次郎くんはコジコジの相棒のような存在で、コジコジのことを馬鹿にしながらも、どこか「こいつすげーな」と思っているようである。

上の画像にもあるように次郎くんはコジコジと先生の問答を目の当たりにして「なんかガーンときちゃった・・・ オレ・・・オレ・・・」と衝撃を受けている。

このあと彼は、テストの点数に怒った母親に対して「フフフ かあさんオレ 次郎だよ 次郎は今も将来もずっと次郎なのさ」とコジコジと全く同じセリフを呟くのだが、「バカ言ってんじゃないよっ ずっと次郎じゃ困るんだよっ 次郎なんてさっさと捨ててミッキーでもスヌーピーでもなんでもなって楽させとくれっ」と激昂されたあげく、ブン殴られてしまう。

そんな感じでなかなかうまくいかない次郎くんが、毎日を七転八倒して生きている私たちのようでとても愛おしく感じてしまう。

出典:コジコジ コミック 第1巻「コジコジコジコジ」より

 

コジコジには魅力的なキャラクターたちがたくさん登場する。そのどれもが自分のようで、あの人のようで愛おしい。

コジコジはこれからも愛され、そして多くの人の心を癒すのだろうなと思う。